2-4. 昭和な働き方 - まとめ
昭和な働き方が確立されたのが高度経済成長期です。
年平均で10%もの成長を続け、1968年にはアメリカに次ぐ第2の経済大国となりました。
個人消費も投資もともに伸び、生活水準が大きく向上しました。
要因の1つが、人口が右肩上がりに増える人口ボーナスです。
特に1970年には全人口の70%を占めていた生産年齢人口は企業側の供給力となる一方、旺盛な需要をも生み出します。
生産年齢人口によって需要が拡大する市場、すなわち、作れば売れる時代の企業戦略は、静的な”競合優位の獲得・維持”であり、市場成長以上に成長することでした。
そのためのポイントは
”より多くのモノを計画通りに作り続ける”
ということにありました。
そのような中、初等教育を受けた優秀な生産年齢人口の人材が供給側でも活躍しました。
すなわち、その労働力を長期で安定的に確保し、市場以上の成長を実現するめ、終身雇用制度・年功序列制度が整備されていきました。
併せて
トップが決めた計画を確実に遂行する
そのためにミスは(限りなく)ゼロにする
ために
ヒエラルキー組織
評価制度:減点主義
などの制度も整備されていきました。
企業と労働者のみが、高度経済成長期の日本型雇用慣行を支えたのではなく、家庭を含む社会や、政府も法制などによるその発展を支えました。
家庭では、唯一の収入源として、長時間労働・転勤にも家族で対応する見返りに専業主婦は年金・健康保険の受給を受けられるようになりました。
法制も、退職金の所得控除や配偶者控除などで実質、終身雇用と専業主婦制度を支援しました。
また、解雇権濫用法理により、司法の面でも、終身雇用が強く守られたり、中小企業基本法により、企業の自然な新陳代謝より雇用・労働力確保が優先されました。
これらにより、東洋の奇跡と呼ばれる成長を果たすことができた一方、
人材の流動性が失われている
企業の新陳代謝の停滞
など負の側面も出ています。